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2006年10月31日

菩提寺と旧居城跡へ_一日目

10月25日苫小牧PM7時初のフェリー『いしかり』に乗り、一路仙台港へ、港を出てから3時
間後から船が揺れだすが、日ハムとドラゴンズの日本シリーズ4日目とあって、どのテレビも
この日本シリーズに乗客が設定、みんながテレビの前に釘付け、ほぼ勝敗が決まった頃には
私だけがテレビの前にいる状態でした。

今回は残念ながら、ラウンジショーは、出演者が、低気圧の影響で乗船できなかった為に中止。

26日の仙台港到着、トヨタレンタリース高砂へこのとき迎えの車に相乗りしたのが、昨日とな
りでテレビを 観戦していた二人の若者、トヨタレンタリース高砂で契約しているとなんと帰り
のフェリーも一緒と判った。帰りに日ハムが優勝してたら、乾杯しようとの約束までして、別れ
た。
この二人の若者はイベントを仕事にしている営業マンと技術屋さんでタレントと現地で落ち合
いイベントを行っているとのこと。ほぼ札幌を拠点に全国を歩いているらしい。

 帰りの苫小牧港の駐車場での写真。写真右が技術屋さん、左は営業の方で話上手。

今回の旅、郷土史研究会の発表の為の旅と位置づけ、亘理町祝田の菩提寺である常因寺
と田村市常葉町にある常光寺そして常盤氏の居城跡(常盤城亦の名を旭城)を訪ねてきまし
た。
最初に訪れたのは常因寺、住職さんに挨拶し、亘理伊達家臣団の北海道移住にともなう常
因寺の住職のこと、山門のことなど話が尽きない。今後の調査課題が沸き出した感がありま
した。

 山門正面

 山門の内側から撮った常因寺の写真

次は今回の旅の中心である高祖父の顕彰碑をかねた墓碑です。日就館の學頭及び亘理
伊達家の家老を勤めた顯信が亡くなった時、多くの弟子たちがその死をきいて集ったとあり、
萬延元年11月朔日(1860年)の日付が彫られています。

 2004年8月に墓参に訪れた時の写真です。

この墓碑はお寺の境内の一番高い所に鎮座、お参りを済ませ降りてくると、ご住職がさくら
野百貨店の方が陶芸作品を持って来られたと途中まで迎えに来られた。さくら野百貨店の
方2名が来ており、
人間国宝民芸の巨匠 浜田庄司 展、人間国宝島岡達三の米寿記念作陶展の作品に直に触
れることができました。(以下の作品はさくら野百貨店の方から頂いた資料から携帯電話の写
真で撮ったものです)

先ずは浜田庄司の面取り花瓶、実際に持ってみてその存在感・重厚感に圧倒されました。



次に島岡達三の縄文象嵌壺・象嵌赤絵草花紋角皿、これも今までイメージしていたものとは
違い、その存在感・重厚感に触れて見て感じたのは、このような作品の品位には、土物の厚
み温かみがあるということに築きました。
今まで、手びねり・ロクロでの薄さだけの追求だけではその存在感は出ないような気がしてき
ました。






次いで塩釉象嵌縄文茶盌、これには住職さんも大変気に入られた様子、手の中で暫らくそ
の感触を味わっておられました。



亘理郷土史研究会の月田さんに「郷土わたり66号のコピー、97号」を送って頂いたお礼と
お話がしたかったので、常因寺を辞し、悠里館へ行ったがPM4時を過ぎていて、郷土資料
館は閉館、ここから電話で打ち合わせのヨークベニマルへ。月田さんとは平成十四年以来
の再会。菩提寺が常因寺であること。甥子さんが伊達市観光協会の職員であること。妹さん
が北海道で教員をやられてて、定年後の現在も勤められている事など。北海道移住時の常
因寺及び大雄寺の住職さんについてもお話を伺いました。
お話が尽きないのですが、26日中に、常葉町に入りたかったのでPM7時頃お別れし、常葉
町に向かう。
カーナビに常葉町の大美屋旅館を設定し、一路 常葉町へ。カーナビに頼りながら、他に気
を使うことなく運転できるのが嬉しい。
PM10時前に大美屋旅館到着、早速来た目的を告げると、この旅館にも常葉町史はおじい
ちゃんから預っているとのこと。
27日のことを頭に描きながら眠りにつく。

続きは亦明日のお楽しみ!!!  


Posted by 邯鄲のゆめ at 00:41Comments(3)郷土史研究会_資料採集の旅

2006年10月24日

移住前の地へ行ってきます

ごめんなさい、四日ほど、出かけますのでブログへの書き込みはお休みします。
明日の夜出港のフェリーで仙台港へそこから旧亘理郡小堤村へ、できれば福島県旧常葉町へも足を伸ばしたいと思っています。
啻、フェリーが低気圧で今晩 仙台発の便が欠航との事なので、配船に時間が掛かり遅れが出るとの情報なので少々心配です。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 21:23Comments(0)フェリーで船旅_1

2006年10月22日

伊達紋別岳へ

就職で東京へそして定年での帰郷、その間、紋別岳が何処にあるのかさえ知らずに過ごしてきました。エゾキスゲ、エゾカンゾウを検索していて、オロフレ山、紋別岳が何処に有るのか、登山口は何処と、地図で探すのが良いのでしょうが、手っ取り早いのがインターネット。全くのインターネット頼りになってしまいました。
一昨日、太陽の園にある登山口を確認しておいたので、



比較的心配をしないで、登山口にある紋別岳登山届函にあるノートに記入する、目の前に「ここから禁煙」の表示が目に入る。煙草をやめて30年、止めてて良かった。



先ず眼下に見える、太陽の園の農場群をカメラに納める。



此の辺りの登り坂がきつい、2合目を過ぎると、大きな岩の前に「草分け神社跡」の白い標識があった。




昭和7年5月建立の草分け神社本体は現在、もと鹿島国足神社の日拝場の有った黒野家の敷地内に鎮座している。74年の歳月に耐え、かなり痛みが激しい。


 


(日拝場は私「邯鄲のゆめ」の本籍地でもあるのです。鹿島町の鹿島国足神社の社務所で生まれ、母の実家であるこの地に移り、私は昭和44年3月まで住んでいたのです)。


ここで写真を撮っていると、聖ヶ丘病院に勤められ、夜勤明けの方に追い付かれた。歩くのが早く今までにないスピードで後ろからついていく。虻田からの団体の方達と一緒だが、20分遅れで出発したので急いでるとの事。”この登山道は、「伊達歩くスキー協会」の方達が整備しているとのお話でした”



景色を眺めながら、3合目を過ぎ、一望台では、木々が開けているのでここで写真一枚。



ここでアザミ?の花を見つけました。



さらに登って、ガンバレ岩の手前でこの方の9人の仲間と挨拶、更に登って7合目の「いっぷく広場」に到着。ここでは更に10名程の方達が既に待っていました。



途中から降っていた雨が少し強くなる。
7合目と言ってもここは峰の頂上八景が良く見える。
” あれが稀府岳、あれが天狗岩 おっとっとっとっと 私「邯鄲のゆめ」の創作する陶器の如くの色合いに天狗岩が見えるのだ。



さらに自宅から眺めるのとは大違い、今度は見下ろしているのだ。
これは創作品のモデルになるとみた。D70sの70ミリで三脚を使用していないのに加え、雨で少し霞気味なので、それほど鮮明ではないが拡大して見ると、次のような写真をになりました。



此の7合目で雨の止むのを待つが一向に其の気配がない。
”登山する時は、雨具は必需品よ”と周りの人に言われて納得。皆さん、ここで雨具 しかも殆どの方が ゴアテックス の雨具なのだ。
紋別岳を目の前に、7合目から先は、登山道路に雨よけの木々が生えていないことを理由に、団体さん達は下山していった。

 左側に見えるのが紋別岳の頂上、7合目から1時間の距離という。

雨が止むことを期待していたが今回は” 雨に負けて ” 敢え無く下山することに。
次回は、ゴアテックスの雨具を用意して再度挑戦することにしました。

下山途中、白樺の紅葉が綺麗だったので記録にとどめる。



下山しながら蓬を探すが上のほうでは背の低いものしか見当たらず、途中にあった蓬の茎を拝見、登山道路際の蓬には我が「カンタン」の卵を産みつけた産卵痕が見当たらなかった。
一昨日、登山口近くの、農場側の道路際の蓬には邯鄲の産卵痕があったのとは対照的。但し、登山道路際の蓬に産卵痕が無いからと言って邯鄲がいないという証拠にはならないと思う。
8月~9月頃に登れば鳴き声などの確認ができたのかもしれない。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 16:30Comments(4)登山にチャレンジ_1

2006年10月21日

邯鄲の産卵場所による蓬への産卵密度の違い

昨日、紋別岳の登山口を探しに来たついでに太陽の園の農場の道を登り、途中に生えた蓬を見つけては、邯鄲の産卵状態を調べた(大げさ過ぎるかもね!)、産卵されている蓬を見ると産卵痕がまばらで数も少ない。以前、昨年と一昨年に幌美内にあった蓬の草原(現在は墓地の造成により此の草原は無くなってしまった)で見たのと同じ状態であった。
一方、伊達噴火湾文化研究所前の道端、及び伊達IC通りの限られた蓬の草原での一本に占める産卵数は非常に密でした。

 左の2本は太陽の園の農場の道端から採取、右の1本は伊達IC通りで採取した蓬、丸い穴が産卵痕なのです。

これは、広い場所で産卵する邯鄲と、限られた場所で産卵する邯鄲の持って生まれた自然への対応なのかと思いました。広い場所では、まばらに産卵する方が危険から逃れる良い方法なんでしょうね。
私も含めての人間の繁栄により、段々と自然が無くなり、虫だけでなく、生物全体の生態系が壊されて行くような気がしてなりません。

” 邯鄲や 自然の摂理 身につけて 育て未来の 子孫繁栄 ”  


Posted by 邯鄲のゆめ at 19:47Comments(0)秋の鳴く虫

2006年10月20日

長生き最長記録をつくった邯鄲

今日、nanako様と、画像の切り取り、縮小についてチャレンジしていると、たまたま、昨年から今年の3月10日まで長生きして私を楽しませてくれた邯鄲の雄の写真が、ピクチャにあったので紹介致します。
この邯鄲は、東京から連れてきた邯鄲の飼育箱の中で、ただ一匹生き残り、2月6日?頃まの間、窓際で「ルールールールー」という最後の鳴き声を聞かせてくれた可愛い邯鄲でした。



長生き記録を更新した2006年2月25日、明るい日差しの中、リンゴを食べている時の写真です。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 11:59Comments(6)秋の鳴く虫

2006年10月19日

ガクアジサイ?も咲いてました

庭の散歩道(大げさか?)で、咲いてる花はないかと探していると、終わっている紫陽花と思しきかすれた色相のガクのある枝とは別の枝の先に小さな水色の花が咲いているのを見つけました。此の花をいだく葉も、若々しく感じます。



これも同じガクアジサイ?の花 本当に小さな花のかたまりに見えます。行く秋の陽光を射すのを待っているかのようです。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 19:07Comments(2)庭に咲く秋の花_1

2006年10月18日

ホトトギスも咲いてました

庭の中を歩いて、気付かなかった花が、庭の外から覗くと、良くわかるようです。
今日、改めて庭の中に咲いている花は、ないのかと眺めたのですが、目にとまる花が見当たらず、フェンスの外から庭の中を覗くと、コスモス・菊系の花の他に、東京から持ってきたホトトギスの花が、咲いているのに気付きました。これは先のキバナホトトギス?が黄色で目立つのに比べるとムラサキと白なので、あまり目立たないのですが可憐な花です。



インタネットで見ると、10月中旬までとあるので、もう終わりに近いのでしょうか。
段々と寂しくなりますね。
先のシモバシラの花は、もう殆ど散ってしまいました。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 18:09Comments(5)庭に咲く秋の花_1

2006年10月16日

邯鄲との出会い

私が日本鳴く虫保存会に入った年の秋9月、毎年伊達神社の秋の例大祭に参列するために帰郷し、そこで初めて、街中の彼方此方の空き地で虫の鳴き声を邯鄲の鳴き声として判別し、聴いたのでした。
北海道で生まれ育った私が、身の回りで邯鄲が普通に鳴いているとは、日本鳴く虫保存会に入るまでは知らなかったわけです。
恐らく、街の方達もそうだと思います

実は、東京では邯鄲は鳴く虫の女王と呼ばれ、会食をした後、この邯鄲の鳴き声に耳を澄ますということが行われているのです。。
現に東京都の八王子観光協会では中秋の名月の時期を選び、精進料理を味わった後、高尾山に登り、講師 小野公男氏の解説を聞きながら、「ルールール・・・」と奏でる邯鄲の鳴き声に耳を傾けるという「邯鄲の声を聴く会」が毎年催されています。
(この小野公男氏は日本で最初に邯鄲の飼育に成功した方で、日本鳴く虫保存会の会長です。)

邯鄲は主に蓬の茎に産卵します。帰郷した今年の経験では春6月頃孵化、羽化が8月初旬から中旬、羽化から4、5日で鳴き始めます。(東京の多摩地区では5月下旬孵化、羽化が7月中旬から下旬ですので約一ヶ月の遅れがあります)

 これは孵化したばかりの邯鄲です。少し時間がたっているので何かを食した為、身体の中が黒ずんで見えます(体長約2.9mm)。 孵化したての邯鄲は真白です。


 これは羽化した邯鄲の雄です。羽が尾に向かって広がり先が丸くなっています。


 羽化した邯鄲の雌。全体に雄に比べると細身に見え、産卵管がお尻のところから出ているのが判りますか?

邯鄲の雄は面白いことに一つの飼育箱では一匹しか鳴かないのです。したがって、もっと別の邯鄲の鳴き声を聞きたいとなると、雄を夫々隔離する方法を執ります。
私は、6個のお鳴籠を置き夫々に雄を入れて鳴かせています。

また、飼育箱では雄雌が交尾、産卵を終えるとその短い一生を終えてしまいます。
従って、飼育箱で生息していた邯鄲は極端にその数が減ってしまうのです。
はじめ、此のことが理解できず、どうして減ってしまったのかと思い、本郷さんにお聞きした時、此のことを教えて下さいました。

幸せが良いのか! 幸せでなくとも長生きが良いのか、考えさせられてしまいました!!!  


Posted by 邯鄲のゆめ at 15:10Comments(4)秋の鳴く虫

2006年10月15日

亘理伊達家 豊田稲荷のお祭が執り行われました

開拓記念館園邸の迎賓館の北側に、大正八年十月伊達開村五十年際を記念し、横山甚左衛門が献納した豊田稲荷があります。(私の持つ當時の記念写真の裏書には、「此の宮には久山公と邦成公を並祭す」と書かれています)



今日は、午前11時から此の宮のお祭が、伊達家の主催で、伊達家の方々と伊達親和契約会の役員方が列席して、厳粛な内にとりおこなわれました。先ず伊達神社の宮司さんが祝詞ごとを述べ、其の後、出席者が伊達家の方から順次玉串をささげました。正午前には、無事お祭が終了し、最後に記念写真を、撮って散会となりました。

多分、記念館を訪れる方々の多くは迎賓館の北側に豊田稲荷が鎮座していることを、ご存じないかと思います。開拓記念館に行かれたなら、一度は迎賓館の北側に廻り、お参りしてみては如何でしょうか!  


Posted by 邯鄲のゆめ at 21:29Comments(0)開拓記念館園邸での行事

2006年10月15日

キバナホトトギス?が咲いてます

今朝、庭に下りて、足元を見ると、キバナホトトギスの花が2つ咲いている。
艶やかさはないが、よく見ると綺麗な花である、寒くなる前に咲く可憐な花でもある。この季節咲く花は少なくなる。昨日、紹介したシモバシラの花と同じ時期に咲いていたとは、昨年は気が付かなかっただけなのかもしれない。



そういえば今朝方は、庭の木々の間を、沢山の雪虫が舞っていたのを思い出しました。
気象庁の毎時計測データを眺めていたら、市内大滝区の最低気温、昨日は-2.6℃まで下がっていた、この気温だと霜が降り、雪が降ってもおかしくない。(市内の温度は3℃、随分違うものである。)
冬近しという事でしょうか?  


Posted by 邯鄲のゆめ at 13:31Comments(2)庭に咲く秋の花_1

2006年10月14日

掃除機が蘇えった

実は、昨年の12月?娘が部屋を掃除していて突然、掃除機が止まってしまいました。
それから約10ヶ月。
勤めていた会社は通信機器製造メーカー、現役時代、自分が設計した製品は故障した時徹底的に原因を究明し、修理していたことが頭を掠め、今月の初めに「そうだ、あの掃除機を修理してみよう」と思い立ち、掃除機のゴミ袋を交換する蓋の部分から分解をはじめ、掃除機の吸引するための本体(モーター)廻りの部分の単純な配線部分に辿りついた。

 

そこについているプロテクタ部分の電源側にAC100Vが着ていることを確認し、プロテクタの出口にAC100V電圧が出てなく、このプロテクタがオープン状態であることが判った。
試しにこのプロテクタを短絡し、電源を投入すると、掃除機が動くことが判明した。
早速、このプロテクタの部品名を確認し、翌日、苫小牧にある東芝テクノネット(株)に電話した。東芝テクノネット(株)の方からこの部品の確認の手紙を戴き。早速注文し、今日の13時頃部品が宅配便で届く。
先ほど、掃除機を分解し、このプロテクタを取り付けた。プラグをコンセントに差込み電源を入れる。弱/中スイッチ押すと掃除機がウィーンという音を立てて動き出す10ヶ月ぶりの懐かしい音だ。これで安心修理終了した。これが仕事の時は報告書を書いていた。懐かしい想い出だ!!!。明日、東芝テクノネット(株)に電話しようっと。

 テスタープローブの先に繋がれているのが壊れたプロテクタ(テスターの表示がOL オープン状態を表示している)


使ったテスターはFLUKE189 定年退職の時、国立の日本電計から購入したもので、これを愛用している。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 21:21Comments(0)掃除機の修理

2006年10月14日

栗がたわわに実りました

一昨年の台風の潮風で庭の木々の南側が茶色に潮焼けし、昨年は栗の実が殆ど、実りませんでした。今年は其の反動か、何処のお宅の栗の木も栗の実をたわわに実らせています。
我が家の栗の木もご他聞にもれず、栗の実がたわわに実っております。



自分の処の栗の実が実っているのを見るのは実に37年振りです。田舎暮らし、そして実りの秋を実感しております。
夏に一度、この庭を訪れたエゾリスが庭の林に、住み着いてくれると、嬉しいのですが!!!どのようにすればリスなどが住み着いてくれるのでしょうね。
春は、松の木に造られたカラスの巣から3羽の幼鳥が、巣立ったのですが、リスの方が可愛らしくて良いなと思っているのですがいかがでしょうか。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 11:26Comments(2)実りの秋_1

2006年10月14日

シモバシラの花/しそ科が咲いてます

先日、未だ蕾だったのはおぼえていたのですが、今シモバシラの花が満開です。
小金井市在住時 帰郷の際持って行きなさいと平井さんから株分けして頂いた株と神代植物園の園芸店で買ったシモバシラの花です。



昨年は小さかったのですが、今年はツツジの根元に鉢を移したため、陽光を求めてか、横に枝を伸ばして、昨年より大きくなっています。しそ科なので花はシソに似ていますが、非常に可憐な花です。今年は昨年より花の数が多くなっています。ツツジの木下に咲いているため餘り目立たないのですが私の好きな花です。



(以前、美智子皇后が昭和天皇にお贈りなったことが話題となったと聞いたことがあります。)

  


Posted by 邯鄲のゆめ at 11:04Comments(4)庭に咲く秋の花_1

2006年10月12日

取材の方が見えました

今日、取材の記者が見えました。実は昨日、古文書解読会の帰りに、お会いし、飼育している「秋の鳴く虫」が鳴き出したことをお伝えすると、明日取材に伺いますと言われていたのです。

先ず、書斎のマツムシ、クサヒバリ、東京産の邯鄲、続いて作業場のクツワムシ、スズムシ、北海道産の邯鄲、マツムシを紹介。

 作業場(本人はアトリエと呼んでいる)左からクツワムシ・スズムシ・北海道産の邯鄲・マツムシの飼育箱(クツワムシの飼育箱は平成十四年?最初の作で娘と苦労しながら作った思い出の物です)夫々の飼育箱の上に載っている小さな虫籠は邯鄲のオスのためのお鳴き箱です(邯鄲は飼育箱では一匹しか鳴かないため、一匹ずつに隔離しています)

作業場で取材。邯鄲については「鳴き声は聞いていてもどんな虫なのかは見たことがなかった」とのこと、「クツワムシは大きな虫ですね」と感心し、


  左側がクツワムシの雄、右側は雌 (鳴く虫は雌の方が大きいようです)


また、「マツムシはこれも現実には見たたことがない、北海道にいないですよね?」、”クサヒバリは産卵の後左官するんですよ”というと驚いておられました。”また邯鄲は主に蓬に産卵し、厳冬の北海道でも平気で越年するが、クツワムシ、マツムシは厳冬の北海道での卵での越年は無理”というと頷いておられた。

虫に関する取材のほかに、「これがリホームですか?」。 ”リホームですよ、建築士の資格を持たれた大工さんに御願いしました。一階のパーテーションは全部変わりましたけどね”、 「書棚は高かったでしょう」と書斎のスライド書棚、また作業場の吹き抜け、には興味をもたれた様子、また、ステレオにも感心をもたれた様子でした。
ちなみに私の書斎の書棚はリホーム前は片面据付のもので、本が書棚以外に溢れていたので思い切って大工さんにスライド書棚(二重スライド)大きさは巾2100×高1960×奥610mmのものを二式御願いした。これは大工さんも初めて造るものなので苦労されていました。が、私にとっては満足の行く物ができたと喜んでいます。

  書棚

さて、ステレオシステムはターンテーブル デンオンDP6000、プリアンプQUAD33、オープンデッキAKAI GX365Dが今では手に入りにくい物だと思います。買った當時は給料よりはるかに高価だった想い出があります。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 22:27Comments(2)取材

2006年10月07日

綺麗な方ですね : 静代おばさん

一昨日、私家にある写真集をもって、開拓記念館を訪れた時、渡辺さんが綺麗な方ですねと、仰ってたのでこの女性についてご紹介致します。



 左は妹秀代、真ん中が静代、右が芳賀鍬五郎     (写真の裏書 明治45年3月)

この女性は私の曽祖父 顕允の娘 緑の娘 静代さんです。札幌農学校の出の山形の人 芳賀鍬五郎と結婚します。(なぜこの方と結婚したのかは聞き損じてしまいました。)
この芳賀鍬五郎は札幌農学校時代の学内誌 学芸会雑誌 第33号・34号(明治33年)、35号(明治34年)、36号・37号(明治35年)に載っているようです。
又、台湾総督府時代には「ブートン島農業経営論」、「キャツサヴァの栽培」、「世界に於けるカカオ」、「イタリアに於けるレモン栽培及び基別産物製造業」、「世界珈琲大観」などの論文を出しています。今でも古文書として取引されているようです。(何れもインターネットで調べたのですが中華民国の国家文化資料庫と記載された記事に出てくるのでそちらの國でも評価されているものと思います。
ところで我が家が、事業破綻し、私の父たちはこのいとこ 静代さんのいる台湾へ16歳で預けられ、台湾の中学を卒業し東京へ、東京では実の姉の嫁ぎ先である清藤幸七郎のところで今の青山学院大を卒業するまでお世話になりました。

私が未だ学生時代の頃、元町の我が家を貞子おばさん、静代おばさん、秀代おばさんが来られたのですが、齢をとられても綺麗な方だとその時の印象がいまだに脳裏に焼き付いています。

早速この静代おばさんの写真を、ブログに載せようと思ったのですが、スキャナーで取り込んだ写真の切り取りに戸惑い今日になってしまいました。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 16:34Comments(2)私の親族紹介