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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2008年10月30日

白昼堂々の花泥棒

”いま、花泥棒が来たんだよ” と、
息せき切って、家の中に帰ってきた。

聞くと、歩道側のフェンスの隙間から、オバサンが堂々と、
菊の花を盗っていたという。

”其の花は、私の家の花よ!持ってかないで!”と叫ぶと
「何よ!、此のぐらい、いいじゃないか」と言い返してきた
というのだ。

近くで、測量をしていた人達もあっけに取られて見ていた。
そのオバサン、花を盗って、袋に入れて、自転車でそそくさと
逃げて行ったというのだ。
フェンスを乗り越えて、追いかける訳にも行かず、そのまま
逃げられてしまった。

他の人も観てる前で、しかも、家人の見てる前で、口答え
しながら、盗んで行くとは、すごいオバサンだ。
昨年、歩道側の菊の花を根毎盗まれたことがあったが、
犯人はこのオバサンか???




  


Posted by 邯鄲のゆめ at 18:53Comments(4)我が家の庭

2008年10月28日

アートビレッジ 大人の写実絵画コース秋季講座の現状

9月7日から始まった秋季講座、私「邯鄲のゆめ」は、
「シーザーの胸像石膏」のデッサンを選んだ。
シーザーの周りを廻って、描く位置を決めるのだがシーザー
から見て右前方約45°の方向に決めた。
何故か、いつも同じ方向になってしまう。
この角度・方向が好きなのかも知れない、真正面は難しいの
か?。いろんな角度で描いてみるのが、良いと思うのだが!

同じような角度を選んだのはF田さん、昼のコースでは、S内さん
とT永さんである。
S内さんのデッサンは、私のより、進んでいるようである。
九月以来、週に2回は他のメンバーより、多く来ているのだが、
寸法・角度が違ってたりで土台は2回ほど書き換え、今回は
顔が1~2cm程後ろに描いてしまっており、バランス的には
後ろに倒れそうだと気が付いた。
従って、顔を前に1.5cm程出す為、顔を描き変えることになった
のです。

     
上の絵が昨日までのデッサンです。(携帯電話機の写真なので
すが雰囲気は判ると思います。)
頭の髪の毛の部分の明暗が未だなのと、全体に木炭のザラツキ
があるので、艶やかさ、滑らかさを出さなければなりません。
後一ヶ月で、仕上げなければならないのですが、間に合うのかと
心配ですが、がんばりま~す!

















   


Posted by 邯鄲のゆめ at 20:15Comments(0)だて噴火湾アートビレッジ_1

2008年10月26日

当別町歴史ボランティアの方達が伊達市開拓記念館に

一昨昨日(10月23日)、当別町歴史ボランティアの方達が伊達市
開拓記念館に来られた。

今月の11日に、私達が、当別町の伊達邸別館・当別伊達記念館
を訪問した時に、当別町歴史ボランティアの方達が伊達市開拓記
念館を訪問すると聞いていたので、朝からそわそわしていた。
Pm2:00頃来られるとの情報だったので、約1時間前に、迎賓館
に行く。

現在の迎賓館  

下は、迎賓館として使われていた当時
の建物の写真(迎賓館内にある)
           

  迎賓館には、既に「くわの会」の岩木さん、酒井さん等が、来ていて
当別町歴史ボランティアの方達が来るのを待っていた。
そうこうする内に、岡田さんが来て今日の交流会は、応接室で椅子
に腰掛けてが良いだろうということになり、控え室にあった椅子を応
接室に運び入れる。
笠原さん、高野会長、菅さん、矢部さんと揃い、東京へ出張していた
黒田学芸員が、今着いた所と言いながら駆けつける。

Pm2:20頃に、到着され、先に開拓記念館を観覧した後で、迎賓館
の方に、来られるとのことなので、私は「くわの会」の方達と迎賓館で
待機お待ちする事とした。

伊達邦成公の銅像・田村顕允翁の胸像がある芝生庭園から、10名
程の方達が、記念館方面に向かわれている。

伊達市開拓記念館 
 
 伊達市開拓記念館での、観覧を終えられた
 当別町歴史ボランティアの方達が、迎賓館へ
 来られる。
 早速、坂田さんに、先日の当別町を訪れた時
 のお礼を述べる。
 
  岡田さんが、応接室で迎賓館の説明をし、
 迎賓館の 中を、見て頂いた後、この場で、
 交流会を始めましょうとお話しする。
 


 続いて、「くわの会」の方達が館内を案内する。






私は、当別伊達記念館で、説明をして頂いた菊池さんを、案内。
 
 館内を観られた後、岡田さんの挨拶で、交
 流会に入る。其の後の司会は、黒田学芸員
 が勤める。
 最初に「くわの会」の高野会長が挨拶、その
 後、当別町歴史ボランティアの会の久保さんが
 挨拶をされた。
当別町からは、当別町歴史ボランティアの方達の他に教育委員会
社会教育課 課長の出口さん、主事の下村さんが出席されてた。
この後は、出席者の方達の自己紹介となった。
当別町歴史ボランティアは「くわの会」よりは始まってから、日が浅い
ので、「くわの会」のボランティア活動を参考にしたいと言われていた。

私が、一番驚いたのは坂田資宏さんだった
  開拓当時の古文書を解読されて、多数の本を出されている。
 伊達市には20回以上みえられている。
 更に伊達市の町名を読んだ佐藤助三郎脩亮の歌碑が建てられる度に
  伊達市 を訪れていたと聞き2度吃驚。

15:50この交流会を終えた。
 迎賓館の前で、記念写真を撮る。




 
 私は名残惜しくて、伊達歴史の杜 道の駅
 まで、見送りに。
 次はいつお会いできるのだろうか。 
 


石狩当別を開拓した岩出山伊達家の伊達邦直公そして有珠郡を開
拓した亘理伊達家の伊達邦成公、兄弟で北海道開拓に其の人生を
ささげ、度々邦成公は兄邦直公の当別を訪れている。
これからも、当別町と伊達市の交流が途絶えることなく、続くことを
願っています。

今回、坂田資宏さんから、出版されている本(坂田資宏著)を多数
戴きました。有難う御座いました。お礼申し上げます。



 
      


Posted by 邯鄲のゆめ at 23:31Comments(11)北海道開拓

2008年10月20日

黒松内岳登山

昨日(10月19日)は、楽しみにしていた黒松内岳へのチャレンジ。
朝7:30の集合(現実は出発だった)集まったのは、以外に少なく
10人、4台の車に分乗して出発。
伊達市内は晴れてたのに、豊浦方面に来ると、靄がかかっている。
今日の天気は晴れのはずなのに!
道順は
  国道37⇒道道266⇒国道5⇒道道9⇒黒松内岳方面の標識
  を左折して林道へ入る。
  5kmほど進むと黒松内岳登山口の標識がある。
  このところに上手く入れば10台程の駐車場があり、此処に車を
  止める。
途中で追い越してしまった軽自動車が、遅れて到着。狭いので我々
の車は、3台並べ其の前に一台を横に置いた。

登山口の標識 「熊 出没注意」と書いてある  
    
 

此処から、入山 周りは靄がかかっていて、景色は楽しめそうに無い。
伊達紋別岳も登山口から急だが此処はもっと急勾配である。
この先が思い遣られる。
 
  最初に一合目。9:28









 続いて3合目。9:39
 2合目の標識は目に入らず通過。








 5合目。 9:58





 6合目。10:14





  7合目。10:22
  此処で、ツルリンドウを見つける。
  写真は下山時に撮る事とし、この時は
  花だけを観察する。






 
  
 ツルリンドウの花と実(赤い)。
 写真機のせいか水色のツル
 リンドウの 色が出ていない。


 8合目。10:39





 9合目。10:48
 此処からが、この山の難所!。 途中に
 ニ箇所、補助用のロープがある。
 このロープ、補助用どころではない、この
 ロープに頼らなければ、今日のように風の
 強い時は、スローワークに入った年配者に
 は、登るのさえ困難と思えた。
   やっと頂上に辿り着く。10:56
 登頂の喜びが、溢れてる。
 10人の参加者中、女性は3名全員が登頂
 男性は3名。
 女性は辛抱強く、粘り強い事が良く判った
 一日でした。
帰りには、黒松内町の温泉に入り、登山の汗を流し、疲れが飛んだ
ように感じました。

今回の黒松内岳登山は雲の中を歩いていたようで、周りの景色を
楽しむことは出来なかったのですが、ブナの木、背丈よりも遥かに
高いクマ笹あり、風の強い尾根では、クマ笹が地を這うように生い茂
っていたりと山の様子により、色々な知恵を絞った植物模様を、写真
に撮れなかったので、次回からの課題としたい。

熊出没注意
 登山途中の3合目?の登山道に大きな真新しい糞が、落ち葉に
 隠れていた。
 黒松内に住んでいたS藤(哲)さんが言われるには、べチャットなって
 大きい。これは狐では なく熊の糞で有ろう、まだ余り時間が経って
 いないだろうとのことでした。(時間が経つと黒ずんでくるという)
 黒松内岳登山される方は、熊に出っくわさないように十分に気を
 つけて下さい。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 15:00Comments(2)登山にチャレンジ_1

2008年10月14日

伊達ゆかりの地を訪ねて

11日は、「伊達市刀剣甲冑保存会」と「伊達市郷土史研究会」
の合同研修会と銘打って石狩当別を開拓した伊達邦直公
ゆかりの当別伊達記念館・伊達邸別館を訪れて、解説の方達
から説明を聞き、帰路には北海道神宮末社 開拓神社を訪れて、
参拝をして参りました。

カルチャーセンター前の駐車場に朝7時集合と言う事なので、
10分前には着く様に家を出る。
参加者は総勢23名、思い々の席に着き、郷土史研究会会長
の岩間英彦氏から、今回の趣旨説明があり、一路石狩当別を
目指して出発。
伊達ICから高速に乗り、江別東?or 西で下りて、一般道を当別
を目指す。
途中分岐点を通り過ごし、引き返す一幕もあったが無事石狩当
別の伊達邸別館・当別伊達記念館に到着しました。
 約10分程遅れての到着でしたが、当別町
 教育委員会・当別歴史研究資料室・
 当別町歴史ボランティアの方達が出迎えて
 下さいました。


 先ずは、当別伊達記念館で、伊達邦直公
 主従の開拓当時の労苦を偲び、また残さ
 れた文化財の説明に、同じく、有珠郡開拓
 に心血を注いだ伊達邦成公主従の労苦が
 想いが重なりました。

 続いては、伊達邸別館。
 「明治13年に建てられ、多くの名士来村の
 折りの宿泊、懇談と村政執行の為の諸会
 議に使用されていた」とパンフレットに書か
 れている。

 この建物の一階に、明治13年から邦直公
 が亡くなる年までに訪れた名士の名が年代
 順に書かれている。邦直公の弟君の邦成公
 はこの間三度訪れており、私の曽祖父は、
 石狩当別の開拓のリーダーだった吾妻謙
が亡くなった(明治22年5月18日)年の6月18日にこの当別を訪
れている事が、書かれていた。
私の曽祖父と吾妻謙は「ともに仙台藩の養賢堂に学び、意気投合
していた」という。其の吾妻謙の死を悼み弔問に訪れたのであろう
と思われる。
 
 伊達邸別館前で、参加者一同の記念写真
 を撮る。
 (御免なさいカメラマンは写ってません)
 10月23日に、この当別歴史研究資料室・
 当別町歴史ボランティアの方達が、今度は
 伊達市開拓記念館を訪れるという、再会を
 約して、此処を後にする。
 
 次は昼食、アサヒビール園で、バイキング。
 他の方は2杯、3杯と飲んでいるが、私は
 ビール一杯を飲んだだけで、おなかが一杯
 になってしまった。
 13時半過ぎに、次の目的地、北海道神宮
 末社 開拓神社に向かう。
 





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Posted by 邯鄲のゆめ at 23:03Comments(0)研修会

2008年10月07日

今年初めての雪虫

朝、窓の外を眺めていると、雪虫が飛んでいる。
カメラを片手に外に出るが、飛んでる雪虫にレンズを向けても
ピントが合わない、手のひらに載せて、写真にとっても、風情
には、合わないので、雪虫が、何処かに止まったときに写真に
収める事にした。

 運良く、ホトトギスの花に止まってくれた。
  (正確には蕾)



 拡大して、良く観ると可愛い。
 これが、アリマキとは思えない。
 
 冬の訪れを告げるこの虫が飛ぶと、
 間もなく雪が降り、約半年間に及ぶ長い冬が
 始まります。
 


    


Posted by 邯鄲のゆめ at 19:35Comments(6)我が家の庭

2008年10月03日

庭の木への訪問者

昨日、我が家の庭の木を、啄木鳥が訪問してくれた。

 最初は、桜の木の幹をしきりと突いている。





 幹の中の虫を獲っている。





 桜の木からまゆみの木へと移った。




 
 時々後ろを振り返る。よくも首が180度
 も廻るものだと感心した。




其のうちに、昔、鯉のぼりをたてていた木の塔に飛び移って
しまった。周りには、隠れる所が無いので、写すのを諦めた。
三脚でなく、手撮りのため、ピントが上手く合わないのは致し
方ない。
(レンズはtokina AF MACRO 100mmを使い、画像は
640×480に切り取った)

   


Posted by 邯鄲のゆめ at 08:09Comments(6)我が家の庭

2008年10月01日

平成20年度 市民学芸員 修了式

伊達市噴火湾文化研究所に於いて9月26日Pm6:00から
平成20年度 市民学芸員 修了式が文化課長 M田氏の
司会で行われた。
伊達市教育委員会教育長 有田 勉氏の挨拶のあと
修了証書が教育長から授与されました。
有田教育長からは「是まで学んできた事を、芸術や文化の振
興、町づくりに役立てて欲しい」との祝辞を戴いた。

  授与者はO島氏、K西氏、邯鄲のゆめ、
 H 氏の順(H 氏は所用で欠席された)
 この授与式の写真が室蘭民報に掲載
 されたが、何故か私が写っている。

 この後、 「受証者」が
1.O島氏は
  「虚説「南部藩士による室蘭南部陣屋の
  焼棄と撤退」を検証する。」
2.K西氏は
  「胆振線の誕生から廃止までを振り返って」
3.邯鄲のゆめは
  「カンタンの鳴き声と飼い方」
の順に各約15分間の要旨発表を行った。

昨年の8月27日からスタートしたこの市民学芸員制度への
参加者は、合わせて9人。今回は、このうち4人が下記のカリ
キュラムをクリヤし、修了証書を授与されました。(他に3人の
方が、間もなく全カリキュラムをクリヤされると思います)

カリキュラムは
①.教養科目の履修
  伊達市噴火湾文化研究所及び関連団体が行う講演会、
  学会、コンサート、絵画展のうち、3つに参加し、ミニレポート
  を提出する。
②.博物館実習
  実際の学芸員資格の取得を目指している大学生とともに
  7日間の実習を受講する。
③.修了論文の作成
  個人が関心を持っているテーマについて、こだわった論文
  を作成する。

「市民学芸員」募集要項に市民学芸員制度の目的が次のように
記されています。
 ■ 個人が持っている知識と能力を市の文化行政に生かして
   もらう。: 行政はもとより社会全体のメリットになる。
 ■ 市が予定している伊達市開拓記念館の改築を前に、新た
   な館の基本プランを作成やオープン後の活用を見据え、
   これらを企画・実施できる人材を確保する。
 ■ カリキュラムの一つである博物館実習を受講することで、
   学芸員の職務や、「文化財の保護と活用」、「文化資源の
   まちづくりへの活用」といった当研究所の活動を理解して
   頂く。

大まかには以上ですが、関心のある方はこの市民学芸員制度
に参加してみては如何でしょうか。そしてお持ちになっている能
力を役立てみませんか!

ところで
名刺に「伊達市 市民学芸員」と入れても良いのかな???

追伸
 「受証者」を授与者と間違えて書いたので訂正しました。  


Posted by 邯鄲のゆめ at 17:56Comments(2)市民学芸員