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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2009年01月16日

どんど焼き

15日午前中、日赤病院へ行き、大腸内視鏡検査で切除した
ポリープの診断結果が、腺腫で良性と聞き一安心。
但し、毎年検査を受けて下さいと念を押された。

正月飾り(玄関のしめ縄など)を持ち伊達神社まで歩いて行く。
途中裏道を歩いていると、見覚えのある人が、垂木を持って
屋根に積もった雪を落としているので出くわす。声を掛けると
スポンジテニス仲間のWさんだった。平屋というが、二階建て
のような大きなお家だ。

伊達神社に着くと、既に「どんど焼き」が始まっていて、正月
飾りのご神火も終局に近い。
 
 神社の関係者の方が「焚き上げ」ている
 のかと思いきや、シルバーセンターの方が、
 炊き上げているので、趣きに欠ける風情が
 無い。
 

 正月飾りをシルバーセンターの方が受け取り、
 炎の中に投げ込み、焚き上げられて行く。



タンカンで枠組みされ金網で囲まれた中での「どんど焼き」
安全第一を考慮した正月飾りを焚き上げ。
神火をもって正月の神様をお送りする行事が、事務化されて
しまっているようでならない。
内地のような伝統が無いからかなと、ふと思った。


      


Posted by 邯鄲のゆめ at 11:38Comments(2)伊達神社

2009年01月12日

開拓記念館 記念樹の枝が折れる

昨日は、黎明観の鍛冶工房で刀の初打ちがあった。
黎明観に向かう途中、伊達開拓記念館の門の中に大きな枝が
重なって横倒しになっているのを発見。初打ちの行事が終った
後で、見に行く事とする。

滞りなく厳かに初打ちが終ったので、開拓記念館の門前に行き
愕然とする。
なんと一昨日から降り続いた湿った雪の重みで、門の右側に植
樹された赤松が(明治9年、時の太政大臣 三条実美公が伊達
の開拓村を視察に訪れた時に植えた記念樹)の大枝が2本折れて
門を塞いでいたのです。





通り掛かった女性もこれを見て、カメラに収めていた。
K田学芸員の話では、昨日、折れたと言う報告があったとの事。

赤松は元々北海道には自生していない木では有るが、穴窯での
薪焼成で焼き物を遣る私達にとっては、単なる薪としてみるので
有るが、記念樹と成ると話は別である。
まして、三条実美公が手植えの赤松と成ると昔を知る古老にとって
は、思い入れがあるように思う。



    


Posted by 邯鄲のゆめ at 10:45Comments(4)伊達市開拓記念館の庭

2009年01月08日

三年半ぶりの大腸カメラ検査

昨日、朝8:15 伊達日赤病院へ徒歩で大腸検査のために
向かう。
検査を受ける方は「邯鄲のゆめを含めて男性4人女性3人。
看護婦さんの説明で、9:05から、下剤とスポーツドリンクに
似た色の少しショッパミのある水溶液2Lを、500mL/30分
の割合で飲むことを義務付けられる。
1Lまでは、便意をも催さない、1.3L位飲んだ当たりでやっと
便意を催す。
1.5L位飲んだ頃には、やっと便が薄黄色になり、責任者で
無い太目の元気な看護婦のOKがでるが、責任者に伝わらず、
50分くらい経ってから、もう一度確認してくださいと言われる。
この太目の看護婦さん他の受診者にも前に行った事を忘れて
同じようなことを言っているのである。一日掛かると思ってた
「邯鄲のゆめ」は、意に介さなかったが、全く無責任な方で
ある。
2時半頃、やっと、私の所に大腸検査の順番が廻ってきた
右手で点滴を受け、其の点滴口から麻酔、そして右肩には
腸の動きを止めるという注射を受けて、愈愈、カメラが腸の
中へ。受診者にもモニターで見えるのである。
初から途中までは綺麗であったが、真ん中ぐらいの所に、5~
6mm位のポリープが見える、其の侭でもいいかなとも思った
が、先生にとって貰う。
青い液を出して、取る部分をはっきり見えるようにしてから
輪っこのようなもので、切り取ったように見え、其の後を、ク
リップか、糸のようなもので塞いだ様に見えた。
ポリープは、3つあったが、小さい3~4mmの物は残した。
この3つは先生の説明では胃の下の位置に相当するとの
ことでした。
其の先は綺麗だった。
約一時間、休憩のベットで、眠る頭がぼうっとしている感じ
だった。

 休憩後、先生からの説明を聞く

 図にあるように、赤い部分の2箇所
 は切除し、緑色部分は残した
 切り取った部分の検査結果が出る
 ので15日に消化診療を受ける事
 にした。
 終ったのが4時半は過ぎていたので
、一日掛かったのです。


前回は、2005年初夏に荻窪の「いそのクリニック」で、同
様の大腸カメラ検査を受けた。
この時とは違った場所にポリープが見つかったのだ。
其の時はいその先生から、2年に一回は検査を受けた方が
良いですと言われていたのを思い出した。
矢張り、其の言葉通りであると言う事を再認識した一日
だった。

「大腸カメラ検査を受けてポリープを切除された方へ」説明の
中で、
「検査当日より1週間は、旅行や過激な運動は控えて下さい。」
という項があるですが、スポンジテニスや卓球が出来ないのか
と思うと辛いです。













  


Posted by 邯鄲のゆめ at 12:12Comments(2)

2009年01月06日

今年初めてのシモバシラの氷花

昨日は、、、レイクヒルゴルフ場へ、この冬初めての歩くスキー
を楽しんできました。
スキーばかりに気を取られ、写真を撮るのもそっちのけで、新
雪をかき分けて、歩きそして滑る楽しさを堪能しました。
(レイクヒルへ向かう道は、圧雪道で、殆ど解けてなくて、伊達
市内との温度差を感じました。)

処で、此処数日の暖かさから、シモバシラの茎の周りの雪が
解けた処に、昨晩からの冷気で「シモバシラの氷花」が咲いて
いました。




 12月にも何度か咲いてたのですが、雪に覆われていて、其の
 雰囲気が伝わらないと思い、ブログには載せませんでした。



この後、雪が降れば又雪の中に埋もれてしまいます。


 





 

  


Posted by 邯鄲のゆめ at 11:41Comments(4)

2009年01月05日

今年初めての伊達紋別岳登山

1月3日
太陽の園パーキングに着いたのは、皆がこの駐車場から登
山口へ向かっている最中だった。車を止めるスペースが無い
ので、T村さんの車の前に止めさせて頂く事に。
長靴に履き替えて、上着を着替えて、リュックを背負い歩き
始めた時には、歩くスキーの仲間は既に、登山入口には見
当たらない。

登山口入口に「熊出没注意」の立看板がある


登山口で、入山記録簿に書き込んで登り始めた。
昨日購入したばかりの長靴で、歩くのだが、登山道を長靴で歩く
のは、登山靴に比べて、歩き辛い事が判った。
M田さん、S伯前会長、F館さんに追いつき、S伯前会長の後から
かなりのスローテンポで付いて行く。

雪の中の草分け神社跡のに着いたのが9:50頃


この「草分け神社」全体がブリキで覆われた造りでは現在は
元町26番地に移され現存している。

続いて、「一望台」こ。
この標識は書家の佐々木さんが書かれたとS伯前会長から
説明を受けた。さすがである!!!

   「一望台」の文字が見えるようにしたの
 で背景が飛んでいるが、先ずは、毛筆
 の文字を見て下さい。


 
 続いては、前方の景色、左側に有珠山
 右側には洞爺湖の中島が見える。





此処から約1時間掛かって、やっと頑張れ岩に着く。
岩を雪が覆っている。

 

此処から5分程歩いて、10:59 7合目頂上に着く。
木々に着いた雪が、幻想の世界を思わせるようで、綺麗だった。


此処で一息を入れ、前紋別岳手前の峯を見ると、歩くスキーの
メンバー達が、休憩している。
邯鄲のゆめは、このメンバーに追いつく事にして、7合目を出発、
佐伯前会長も直ぐ後ろに続く!

前紋別岳に着いた時、紋別岳の2つ手前の峯の前で、本隊の
メンバーが小休止をしているので、彼等に追いつこうと少しスピ
ードを上げる。
やっと追いついた時、紋別岳の手前の峯の前で、記念撮影を
始めようとしている処に間に合う事が出来た。幸運だった。

私の携帯に此の時の様子を収めなかったことを、後で悔やむ
が、時既に遅しである。
此処から、先は危険が伴う可能性があるとの判断で、引き返す
事となった。(但し、同行していた室蘭から来ていた3方は紋別
岳頂上を目指して敢行、無事登頂されていた)

下山途中、前紋別岳で、記念撮影(11:30頃)

 

雪の深い所は、膝上まであり、先頭を行った方は大変だったと思う。

13:20頃 登山口の入山記録簿に記載して、初めて冬の紋別岳
登山を終える。
家に帰り着いて、お風呂に入って汗を流したあと 暫く、居間の床暖
の上に横になり、うとうとと寝込んでしまいました。
不思議と5日になっても、筋肉痛が未だ無いのです。


  


Posted by 邯鄲のゆめ at 20:24Comments(16)