2008年03月04日
ひな祭り
昨日3月3日は、ひな祭り
伊達市開拓記念館では、3月1日~3月9日まで、古いひな人形を持っている
方達の内裏びなを中心に展示しています。
3月3日は入場無料、そして甘酒が振舞われた事もあり、大勢の方が、来館
されました。
私が珍しいと思ったのは、壁に展示している「押絵びな」です。
先ずは、展示風景
内裏雛の殿とお姫様の位置、此れは昭和天皇の即位礼の前は右側が雄雛、
左側が雌雛と伝えられていたといいます。
それが、昭和天皇の即位礼の後に右側が雌雛、左側が雄雛になったといいます。
では見てみましょう。良く判るのは「押絵びな」 顔の向きでわかるのです。
① 明治時期 ② 大正時期
① ② ③
続いては、④ 大正期の内裏雛 ⑤ 昭和期の内裏雛 ⑥ 同じく昭和期の内裏雛
④ ⑤ ⑥
最後は貝雛です。この貝雛は、昨年の来館者の方が造られたものです。
⑦
勿論、常設の伊達家の雛人形は圧巻なのですが、いろんな雛人形があるん
だなと再認識させられました。
いろんな有名作家が作られている雛人形は、インターネットなどで拝見する事が
あるのですが、町の方達の持たれていた雛人形、楽しく拝見致しました。
伊達市開拓記念館では、3月1日~3月9日まで、古いひな人形を持っている
方達の内裏びなを中心に展示しています。
3月3日は入場無料、そして甘酒が振舞われた事もあり、大勢の方が、来館
されました。
私が珍しいと思ったのは、壁に展示している「押絵びな」です。
先ずは、展示風景
内裏雛の殿とお姫様の位置、此れは昭和天皇の即位礼の前は右側が雄雛、
左側が雌雛と伝えられていたといいます。
それが、昭和天皇の即位礼の後に右側が雌雛、左側が雄雛になったといいます。
では見てみましょう。良く判るのは「押絵びな」 顔の向きでわかるのです。
① 明治時期 ② 大正時期
① ② ③
続いては、④ 大正期の内裏雛 ⑤ 昭和期の内裏雛 ⑥ 同じく昭和期の内裏雛
④ ⑤ ⑥
最後は貝雛です。この貝雛は、昨年の来館者の方が造られたものです。
⑦
勿論、常設の伊達家の雛人形は圧巻なのですが、いろんな雛人形があるん
だなと再認識させられました。
いろんな有名作家が作られている雛人形は、インターネットなどで拝見する事が
あるのですが、町の方達の持たれていた雛人形、楽しく拝見致しました。
Posted by 邯鄲のゆめ at 19:04│Comments(14)
│節句
この記事へのコメント
邯鄲のゆめさん
お孫さんの初節句で今年のひな祭りは格別な思いでしょうね~(*^_^*)
さまざまなお雛様を見せていただきました <(_ _)>
貝のお雛様も見事ですね!
2、3の掛けられるのは狭い我が家向きかも
どのお雛様も娘の成長を願って飾られたものですね
親の気持ちはどんな時代でも変りません
お孫さんの初節句で今年のひな祭りは格別な思いでしょうね~(*^_^*)
さまざまなお雛様を見せていただきました <(_ _)>
貝のお雛様も見事ですね!
2、3の掛けられるのは狭い我が家向きかも
どのお雛様も娘の成長を願って飾られたものですね
親の気持ちはどんな時代でも変りません
Posted by ターン at 2008年03月04日 20:21
ターンさま こんばんは
東京の息子の処は、お嫁さんの実家から、お雛様を贈られた
ようです。
孫むすめが、おひなさまにすごく興味を持って、いると写メール。
今回展示されてたお宅の方たちが、見に来られてましたが、
初めてのむすめさん(お姉さん等)が生まれた時のものです」と
お話されていました。
私の娘が生まれた時は、母がくれたオルゴール付きの化粧箱に
入ったものでしたが、娘が大きくなってからは、一度も、出したことが
ありませんでした。団地住まいで狭かったのがその理由でした。
嫁いだ娘は、諫早のお家のご両親に、可愛がられているようです。
東京の息子の処は、お嫁さんの実家から、お雛様を贈られた
ようです。
孫むすめが、おひなさまにすごく興味を持って、いると写メール。
今回展示されてたお宅の方たちが、見に来られてましたが、
初めてのむすめさん(お姉さん等)が生まれた時のものです」と
お話されていました。
私の娘が生まれた時は、母がくれたオルゴール付きの化粧箱に
入ったものでしたが、娘が大きくなってからは、一度も、出したことが
ありませんでした。団地住まいで狭かったのがその理由でした。
嫁いだ娘は、諫早のお家のご両親に、可愛がられているようです。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年03月04日 21:18
久しぶりのブログですね。雛人形の特別展なかなかのヒットでした。
面白いのは、「押し絵雛」の一番大きいのが明治時代のものでした。
それが判明したのは、押し絵の裏打ちに新聞が使われていたのですが、
その日付が明治だったからです。
今、不要のものであっても、時が経過することにより、貴重な資料に
なるものです。新九郎さんのところも、宝物がいっぱいですね。大事に
後世に伝えなければありませんね。
面白いのは、「押し絵雛」の一番大きいのが明治時代のものでした。
それが判明したのは、押し絵の裏打ちに新聞が使われていたのですが、
その日付が明治だったからです。
今、不要のものであっても、時が経過することにより、貴重な資料に
なるものです。新九郎さんのところも、宝物がいっぱいですね。大事に
後世に伝えなければありませんね。
Posted by H氏 at 2008年03月04日 22:36
久しぶりのブログですね。雛人形の特別展なかなかのヒットでした。
面白いのは、「押し絵雛」の一番大きいのが明治時代のものでした。
それが判明したのは、押し絵の裏打ちに新聞が使われていたのですが、
その日付が明治だったからです。
今、不要のものであっても、時が経過することにより、貴重な資料に
なるものです。新九郎さんのところも、宝物がいっぱいですね。大事に
後世に伝えなければなりませんね。
面白いのは、「押し絵雛」の一番大きいのが明治時代のものでした。
それが判明したのは、押し絵の裏打ちに新聞が使われていたのですが、
その日付が明治だったからです。
今、不要のものであっても、時が経過することにより、貴重な資料に
なるものです。新九郎さんのところも、宝物がいっぱいですね。大事に
後世に伝えなければなりませんね。
Posted by H氏 at 2008年03月04日 22:37
こんばんわぁ~、約二ヶ月ぶりじゃないですかぁ~~。
それにしても、いっぱいお雛さまを見れました。
何年もお雛様を出していませんので、ちょっとだけ・・・・。
心が苦しい~~~(笑)
それにしても、いっぱいお雛さまを見れました。
何年もお雛様を出していませんので、ちょっとだけ・・・・。
心が苦しい~~~(笑)
Posted by じゃらし at 2008年03月04日 22:55
邯鄲のゆめさん!!
【嫁いだ娘は、諫早のお家のご両親に、可愛がられているようです。 】
幸せなお嬢さんの様子 なにより嬉しい邯鄲のゆめさんですね!
(*^_^*)
【嫁いだ娘は、諫早のお家のご両親に、可愛がられているようです。 】
幸せなお嬢さんの様子 なにより嬉しい邯鄲のゆめさんですね!
(*^_^*)
Posted by ターン at 2008年03月05日 08:01
H氏 様
押絵の一番大きいのは、私が子供時代からお世話になっていた方
で私の大学時代の奨学金の保証人にもなって戴いたお家から
展示に出されたものである事が判りました。
当時のご夫妻のお顔が忘れられません。
雛人形などこのようなものは、私が引き継いだ時には何にもありま
せんでした。きっとそういったものがあれば、私の所に、後継ぎが廻っ
ては来なかったと思います。
押絵の一番大きいのは、私が子供時代からお世話になっていた方
で私の大学時代の奨学金の保証人にもなって戴いたお家から
展示に出されたものである事が判りました。
当時のご夫妻のお顔が忘れられません。
雛人形などこのようなものは、私が引き継いだ時には何にもありま
せんでした。きっとそういったものがあれば、私の所に、後継ぎが廻っ
ては来なかったと思います。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年03月05日 16:57
じゃらし様 お久しぶりです
娘が、長崎県諫早市へ1月に嫁いでいってから暫く放心
状態が続き、ブログを書く気力が沸きませんでした。
お雛様を、見に行ってから、また書き込もうと思うように
なりました。
ご心配をおかけ致しました。
これからも、宜しくお願い致します。
娘が、長崎県諫早市へ1月に嫁いでいってから暫く放心
状態が続き、ブログを書く気力が沸きませんでした。
お雛様を、見に行ってから、また書き込もうと思うように
なりました。
ご心配をおかけ致しました。
これからも、宜しくお願い致します。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年03月05日 17:04
ターン様 こんにちは
娘からの電話だけでは、見ていないので、あちらの様子が
判らなかったのですが、昨日、嫁ぎ先のお母様から、元気に
やっている娘の様子をお話してくださる電話があり、安心致し
ました。
娘からの電話だけでは、見ていないので、あちらの様子が
判らなかったのですが、昨日、嫁ぎ先のお母様から、元気に
やっている娘の様子をお話してくださる電話があり、安心致し
ました。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年03月05日 17:12
イカリングぷれい さん
意味不明なので、イカリングぷれい さんからのコメントは削除させて、
戴きました。
意味不明なので、イカリングぷれい さんからのコメントは削除させて、
戴きました。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年03月06日 20:03
邯鄲のゆめさま
歴史を感じさせるお雛さまの数々ですね。
私はお雛様を持っていなかったので特別な感情があります。
昨年のお雛さまの時は「開拓の村」で古い暖飾りのお雛様を
見る事が出来ました。
伊達家のお雛さまは常設されているんですか?
いつかそちらに伺った時に拝見したいと思っております。
お嬢様を嫁がせたお父様の寂しいお気持ち解ります。
姑さまは気のつかれる優しい方ですね。
私も見習わなくては~(笑)
歴史を感じさせるお雛さまの数々ですね。
私はお雛様を持っていなかったので特別な感情があります。
昨年のお雛さまの時は「開拓の村」で古い暖飾りのお雛様を
見る事が出来ました。
伊達家のお雛さまは常設されているんですか?
いつかそちらに伺った時に拝見したいと思っております。
お嬢様を嫁がせたお父様の寂しいお気持ち解ります。
姑さまは気のつかれる優しい方ですね。
私も見習わなくては~(笑)
Posted by クッキーママ at 2008年03月06日 20:27
クッキーママ様 こんばんは
伊達家の常設お雛様以外に、お持ちの方たちの内裏びなを9日まで
展示しています。
此方は明治期以降のものですが、見ているといろいろ感じさせられま
した。
私は、男3人兄弟だったのと、戦後の物の無い時代に生まれたことも
あり、また明治期に、破産という憂き目にも遭ったので、このようなぜ
いたく品(御免なさい)は一切ありませんでした。
伊達市開拓記念館にある伊達家のお雛様は、多分北海道隋一の
のものかと思います。
是非、来てご覧になると良いですよ!
娘は物覚えの頃から私が、背負い・抱っこして、歩いたので、それこそ
目の前から、居なくなり、嫁いで行った後は、暫くは、ぼけっとしていまし
た。お姑様から、お電話を戴き、はっと吾に返ったように思います。
伊達家の常設お雛様以外に、お持ちの方たちの内裏びなを9日まで
展示しています。
此方は明治期以降のものですが、見ているといろいろ感じさせられま
した。
私は、男3人兄弟だったのと、戦後の物の無い時代に生まれたことも
あり、また明治期に、破産という憂き目にも遭ったので、このようなぜ
いたく品(御免なさい)は一切ありませんでした。
伊達市開拓記念館にある伊達家のお雛様は、多分北海道隋一の
のものかと思います。
是非、来てご覧になると良いですよ!
娘は物覚えの頃から私が、背負い・抱っこして、歩いたので、それこそ
目の前から、居なくなり、嫁いで行った後は、暫くは、ぼけっとしていまし
た。お姑様から、お電話を戴き、はっと吾に返ったように思います。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年03月06日 21:29
邯鄲のゆめさん
おはようございます
昨日 当別町に行ってきました
当別町は伊達家と縁がある町なんですね
伊達記念館と伊達低別館の中を見てきました
お雛様は無かったですが
京都の冷泉家から伊達家へ嫁いだお姫様?の
花嫁衣裳が展示されていました
邯鄲のゆめさんと知り合わなければ
この記念館には立ち寄らなかったかもしれません ^-^
おはようございます
昨日 当別町に行ってきました
当別町は伊達家と縁がある町なんですね
伊達記念館と伊達低別館の中を見てきました
お雛様は無かったですが
京都の冷泉家から伊達家へ嫁いだお姫様?の
花嫁衣裳が展示されていました
邯鄲のゆめさんと知り合わなければ
この記念館には立ち寄らなかったかもしれません ^-^
Posted by ターン at 2008年06月23日 08:24
ターン様 こんにちは
当別町に行かれたんですね。
当別の伊達家には冷泉家から岩出山伊達家へ嫁いだ方が
いらっしゃったのですね。
当別の伊達家と此方伊達市の伊達家とは特別な関係にあると
いっても良いと思います。
当別に入植された岩出山伊達家の邦直公(兄)と亘理伊達家の
邦成公(弟)は兄弟なのですから!
私の曽祖父が邦成公に、進言した事で始まった北海道開拓、
その後、岩出山伊達家、角田石川家、白石片倉家などが
願い出て、仙台藩の一門一家が北海道に移住したのです。
勿論、他の藩の人たちも、抱えた家臣たちの行き先を北海道
開拓へと向けたのだと思います。
私は、未だ石狩当別に行った事がないのですが、今年は実現
しそうです。そして、北海道神宮内の開拓神社にもお参りしたい
と考えております。
昨日は、流行風邪のせいで一日寝込んでいました。
21日に、息子家族が、我が家に一泊して行きました。
半年振りに逢う孫娘は、伝い歩きをするまでになってましたが、
人見知りをするようになり、私が抱っこすると泣き出してしまい
ます。次に逢う時は、”じじ”などと言って懐いてくれれば嬉しい
のですが?
当別町に行かれたんですね。
当別の伊達家には冷泉家から岩出山伊達家へ嫁いだ方が
いらっしゃったのですね。
当別の伊達家と此方伊達市の伊達家とは特別な関係にあると
いっても良いと思います。
当別に入植された岩出山伊達家の邦直公(兄)と亘理伊達家の
邦成公(弟)は兄弟なのですから!
私の曽祖父が邦成公に、進言した事で始まった北海道開拓、
その後、岩出山伊達家、角田石川家、白石片倉家などが
願い出て、仙台藩の一門一家が北海道に移住したのです。
勿論、他の藩の人たちも、抱えた家臣たちの行き先を北海道
開拓へと向けたのだと思います。
私は、未だ石狩当別に行った事がないのですが、今年は実現
しそうです。そして、北海道神宮内の開拓神社にもお参りしたい
と考えております。
昨日は、流行風邪のせいで一日寝込んでいました。
21日に、息子家族が、我が家に一泊して行きました。
半年振りに逢う孫娘は、伝い歩きをするまでになってましたが、
人見知りをするようになり、私が抱っこすると泣き出してしまい
ます。次に逢う時は、”じじ”などと言って懐いてくれれば嬉しい
のですが?
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年06月24日 16:06