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2009年03月17日

春一番?

14日そして一昨日は休みの取れない息子の家族が、土日の
休みを利用して、孫娘を見せに来た。ゆっくりする間も無く、
まるで台風のごとく来て、帰って行った。
(天候も嵐のごとくだった。)

春一番? この写真は、昨日、メールで送られて
 来たもの。

  庭のカエデの枝にとまって 餌を啄ばむ
 数羽の鷽(うそ)を観ている孫娘と私 「邯
 鄲のゆめ」。
 孫娘の指先が、小鳥を指している。
 
  次の世代を担う孫娘と近い将来、我が家
 の歴史の中で未知の部分等を話し合える
 時が来ればいいなと思う一時でもあった。

 

新千歳空港まで送って戻ると、心地よい疲れがどっと出て、居間
で横になった途端、そのままPm9時頃まで寝てしまいました。


 


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Posted by 邯鄲のゆめ at 17:04│Comments(12)我が家の庭
この記事へのコメント
 お孫さん可愛いでしょうね。後ろ姿からもその様子が
ありありと見えてきます。今度はお孫さん、後ろ姿でなく
はっきりとアップで公開してくださいよ。
 一人では心許ないからもう一人、息子さんに頑張って
欲しいものですね。
 昨日、今日と春らしい日和となってきました。記念館で
は水芭蕉も咲いていますよ。
Posted by H氏 at 2009年03月17日 21:17
邯鄲のゆめさま

ご無沙汰おゆるしくださいませ。

お孫さんはお幾つですか?
良い写真ですね~
陽だまりで語り合う後姿、ぜひ描かれたら如何でしょうか?
きっと素敵な絵になるでしょう。

二月で孫も一歳になりました。
昨年の11月に来ましたが帰った後、疲れがとれるのに
かなりの日数がかかりました(笑)
Posted by クッキーママ at 2009年03月17日 22:30
邯鄲のゆめ様

春の息吹、福寿草とフキノトウ、そして何より嬉しいお孫さんの訪問でしたね。
後姿がこんなに幸せを滲ませるものかと、感じましたよ。

私事ですが、先日の亘理町史等から一つ進みました。
伊達政宗の家臣であった 手代木重定勘解由が佐野家初代の佐野勘解由重定と同一人物であったと、やっと私にも分かりました。そして
祖父の十代佐野清正につながりました。
正宗九男喝食丸が亘理伊達成実の養子となった時について移り入ったという事ですね。その際、『佐野』の名も頂いたものでしょうか その後は『佐野勘解由 重定』として記録されていますし。寛文事件にも家老佐野勘解由として巻き込まれたのですね。
「伊達さんからと頂いた」とされる佐野家の家紋も、もしかしてその時に伊達家の古い家紋である『竪三つ引き両』の使用を許されたものなのかと、推測してみましたがよく分かりません。
 また私にとっては佐野清正の生家の方はどうなのか知りたいと思っています。『亘理世親家譜略記』にある『黒野覚之丞』へと遡るのでしょう。佐野臨太夫(旧名 黒野父之助)による
『祭亡兄黒野定暁君文』に
『君いみな定暁後避朝いみな称時中俗名左馬人後賜改陳太夫姓平氏黒野實為北条氏之末裔也』とあり、北条氏の末裔と書かれています。(いみなは漢字、称はこれの旧字かと思う)
覚之丞についても述べられています。私が読むとどうも一代合わないので、ちゃんと読み解きたいところです。周りの方々のご迷惑にならない様にして時間を掛けて調べてみたいと思っています。
Posted by だてーことに at 2009年03月18日 10:34
H氏 様 

お晩です。(息子達と話していても北海道弁は出てこないので、この
言葉には、まだ馴染めない私「邯鄲のゆめ」です。)
孫と逢ったのは、3回目なので、急に成長したように感じます。
前回は抱っこすると泣き出して親の方に行こうとしたのが、今回は、
そんな事も無く、可愛さが沸いてきました。
次に逢う時は、おしゃべりをしてくれると良いなと思っています。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2009年03月18日 19:20
クッキーママ 様

お久しぶり、此方こそご無沙汰しています。
この写真は、息子の奥さんからのメールに添付されていたものです。
孫と私が庭に小鳥(鷽(うそ))が来ているよと話している時の姿を
捉えた良い構図だなと私も思いました。

クッキーママ様の処もお孫さんがお生まれになったと言われてから、
早や1年が経ったのですね。早いものですね。
可愛かったでしょう。逢う楽しみの後には、心地よい疲れが出たので
しょうね。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2009年03月18日 19:38
暖かい後ろ姿の2人。
いいものですね。
草木の話、小鳥の話、虫の話、... 2人で話題豊富に会話するのはすぐですね。
やさしく、物知りの、楽しいジジババでありたいですね。
Posted by jun1940 at 2009年03月19日 15:45
だてーことに 様

コメント遅れてしまい、御免なさい。

亘理町史、伊達町史などに、幕末から明治期に掛けての事が書かれていますので、読んでると引きずりこまれ
てしまいます。

『亘理世親家譜略記』は亘理常盤家三家の祖(1)吉定(2)安定(3)景定の
三兄弟の内、景定から数えて七代目の貴定が、12代宗恒公の師をしながら文政四年(1821年)に十数年掛けて書き上げたものです。

この中には家格(15) 佐野 本苗手代木、家格(17) 佐野(先祖佐野久三郎)の略記が記載されています。

『竪三つ引き両』の事はこの中には書き込まれていませんでしたが、非常に興味を覚えます。

『亘理世親家譜略記』にある「家席(13) 黒野 姓平」の部分をWORDで
書き込んでみましたので後ほどメールでお送り致します。
この中では「左馬人」までしか書かれていませんので11代「左馬人」―
12代「時中」―13代「良象」として数えると良いのかなと思います。
大叔父清正氏は曽祖父「時中」の三男、大叔父張良氏は同四男です。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2009年03月21日 16:10
jun1940 様 

お久しぶりです。
草木の話し、小鳥の話までは、子供達も良いのですが、鳴く虫の話は、子供
達は避けているので、孫には興味を持って欲しいと願う ジージ です。

孫達が来た時は、台風並みの大荒れの時だったようで、飛行機が大揺れだ
ったと言ってました。

今日の伊達市内は、春のように暖かですが、明日は大滝区に行き歩くスキーを
楽しんでこようと思ってます。(大滝区は未だ積雪90cm超えの雪の中です)
Posted by 邯鄲のゆめ at 2009年03月21日 16:30
わーい、やっと書き込み開始ですよ。

おマゴちゃん、もうこんなに大きくなったのね。
なんてかわいいお手々でしょう。
優しい邯鄲さんのことだから、きっとメロメロですよね!
でも、まごは来てよし、帰ってよし、と
昔の人はよく言ったもんです。  お疲れ様~~
Posted by nanako at 2009年03月25日 17:08
nanako様

マゴは、可愛いですね、娘、息子の時とは違った可愛らしさがありますね。
新千歳空港のロビーで手を繋いで歩いた時は、なんとも言えず嬉しかった。

毎日ではなく、時々訊ねてきて会うのが良いのかもしれませんね。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2009年03月26日 11:03
邯鄲のゆめ様
コメントに入れて申し訳ありません。質問ひとつ。
北海道を開拓に伊達に入った『伊達邦成公』は亘理伊達家の14代ですか?15代ですか?
「伊達誕生記『海を渡った武士団』には15代とありますが、宮城県の亘理町史に14代とある様に思いますが、私の読み違いでしょうか?
 可愛いお孫さんのところにごめんなさい。
Posted by だてーことに at 2009年03月29日 13:07
だてーことに様

こんばんは。
伊達君代様の著書「仙台藩最後のお姫さま」の亘理
伊達家の略系図では 初代を実元公(成実公の父)と
されておられますが、亘理町史では、亘理へ入府され
た成実公を初代としています。
従って、実元公を初代とした場合は15代邦成公、成実公
を初代とした場合は14代邦成公ということになります。
このように起点を何方にするかで、違ってきます。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2009年03月29日 21:08
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春一番?
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