さぽろぐ

日記・一般  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


2008年08月26日

クツワムシの初鳴き

夕方、K'S電気でオフィスペーパーを買って帰宅すると作業場(私本人は
アトリエのつもり)で、クツワムシがガチャガチャガチャと、鳴いている。
しかも、試し鳴き無しだ。今までのクツワムシは必ずと言って良いほど、
試し鳴きの後、次の日から本格的に鳴き出しているのですが、練習
も無しに鳴いているのは、飼育して4年目になるのですが初めての出
来事です。

昨日、室蘭のハムセンターに行って、ラジオ用のアンテナ線を10m程
買い、手に入れてから今日初めてJRC JST-245の外部アンテナ-INに
繋ぎこみ、電源を入れて、BAND/KEYスイッチでNHK 945KHzに設
定し、NHK第一の音声を、この無線機で、初めて聞いて感激に浸って
いる時、今度は、マツムシのチり・・・チり・・・チリと覚束ない鳴き声が聞
こえだした。多分明日には、マツムシのチンチロリン、チンチロリン、チン
チロリンという、懐かしい鳴き声が、書斎の出窓から、聞こえるものと、
思います。

やっと、心待ちにしていた我が家の虫さんたちの秋が始まりました。




あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(秋の鳴く虫)の記事画像
マツムシの幼虫が、新たに孵化した?
カンタンの初音
鳴く虫の女王 カンタンも孵化してました!
マツムシが孵化
マツムシが孵化
マツムシの幼虫が生長している
同じカテゴリー(秋の鳴く虫)の記事
 我家の鳴く虫の現状 (2020-08-06 15:39)
 マツムシの幼虫が、新たに孵化した? (2018-11-05 21:39)
 カンタンの初音 (2018-08-19 20:59)
 鳴く虫の女王 カンタンも孵化してました! (2018-07-13 17:51)
 マツムシが孵化 (2018-06-30 20:59)
 マツムシが孵化 (2018-06-30 20:59)

Posted by 邯鄲のゆめ at 21:55│Comments(4)秋の鳴く虫
この記事へのコメント
 まさに邯鄲さんは、自由奔放ですね。好きなことを好きに
やっている。幸せな人生だと思います。
 周囲では秋の虫が鳴き、ハムで日本中の人と交信する。
絵画教室で日本トップクラスの先生に画の指導を受ける。
歩くスキーの仲間と夏の間は山に登る。

 こんなことを自由にやらせてくれる奥さんも自由を謳歌
しているのかな? これに陶器作りが加わると、どんな毎日
なるんだろう。 一日24時間では足りなくなるのではないで
しょうか?
Posted by H氏 at 2008年08月27日 19:34
H氏 様

帰郷の4年程前から、秋の鳴く虫に興味を持ち現在も続いてます。

アマチュア無線は、最初33年前に始めたのですが、小金井市に住んだ
住宅が、公式にはアンテナを立てることが出来なかったので、断念。
25年間のブランクが!!! 帰郷したことで、自縛が解かれました。

又、焼き物への興味はS58年からですから、もう25年になりますか。
定年退職前は、焼き物三昧。 窖窯造りでは、事務局を担当し、一年半
土・日曜・祭日の殆どを、山梨の牧丘町に通って窯造りを遣り、仲間内で
窯造りがあると聞けば、お手伝いに駆けつける等の想い出が、一番です。
窯焚きがあると聞けば、お邪魔虫でした。

この焼き物に活かせるかと思い、アートビレッジに通うことになり、ハマッテます。
遣りたいことが一杯で~す。 \(^o^)/
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年08月28日 14:34
邯鄲のゆめさんは本当に楽しい人生ですね。
そういえば 私も昔アマチュア無線部にいた事を思い出しました。
高1の時 友人と素敵な部長にあこがれて入部、免許を取りましたが
機械は全然分からず、部室でおしゃべりばかり。勤めた会社にもクラブ局が
あり 出力50Aだった様に思いますが、そのせいで よく呼んで貰いました。
(あれはまずかったのかしら)

私の母方の祖父は 黒野時中氏の二男で、佐野家を継ぎました。
その妻である私の祖母は、明治8年5月亘理郡から琴似村に入植した
屯田兵の娘です。
昔、断片的に聞いていた事柄を、今になって繋ぎ合わせてみると そういう事だったのかと 分かってきました。もっとしっかり聞いておくと良かった。
北海道を離れて36年、昔聞いた話や残っている物はどうだったのかと
今更思った頃には もう母もなく 詳しく聞ける人はいなくなっていました。
目につく資料や邯鄲のゆめさんのお話等から少しづつ繋がって来ました。
明治18年の士族編入の書き物も、何だろうと思っていました。

それと、3月の邯鄲のゆめさんの お雛様の写真で とても嬉しい発見を
しました。(8月も末になって)
私の実家のお雛様は、他で古いお雛様を見ても、同じ種類の物は見た事が
ありませんでしたが、3/4付の④番と とてもよく似ています。
小振りの物ですが、煌びやかな冠やお道具や牛車など 毎年出すのが
楽しみでした。
大正のお雛様という事でしたので、あれは 母の物だったのでしょね。
倶知安から母のお嫁入りに一緒に付いて来たものなのでしょう。

思いがけない発見で とても嬉しかったです。
有難うございます。
Posted by だてーことに at 2008年08月28日 18:29
だてーことに 様

そうでしたか、祖父様は佐野家を継がれた黒野時中氏の次男(戸籍上は
3男だと思います)でしたか、
私の母と叔父の話の中にその方のことを叔父と呼んでたのを思い出し
ました。私は黒野姓ではないのですが祖父はその佐野家を継がれた方の
兄に当たります。
倶知安に入られたという事までは、聞いてたのですが、その後の音信に
ついては、判りませんでした。
「亘理世臣家譜略記」によれば佐野家は亘理伊達家の「お客の間 着座」に
に位置する名家です。

3月4日付けのお雛様ご覧になって戴けましたか。有難う御座います。
お母様は倶知安から 嫁がれたのですね。
あの時は特別に街で持ってる方のお雛様を飾ったのですが、伊達市開拓
記念館には、亘理伊達家が、持っていたお雛様を常設してますので、ご覧
になられると良いかと思います。
これからも宜しくお願い致します。

追伸
 黒野時中氏の名を時仲と書いてしまいましたので訂正致しました。
 「邯鄲のゆめへのメール」からメールを下さると、公開せずに連絡を取る
 事が出来ます。
Posted by 邯鄲のゆめ at 2008年08月29日 17:43
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
クツワムシの初鳴き
    コメント(4)