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2014年03月26日

弐年前の「伊達ライオンズクラブの総会」をふり返って

2012年2月29日 伊達郷土史研究会の会長から、電話があり、

伊達ライオンズクラブは当別ライオンズクラブと七月以降に姉妹クラブと
なる事になった。
ついては伊達ライオンズクラブの会長から、
  〇 当別を開拓した伊達邦直公の話が聞きたい。
  〇有珠郡を開拓した伊達邦成公とのきずなについても話して欲しい。
ということになったというのです。

それで適任者は、ということで郷土史研究会の事務局である私こと
邯鄲のゆめに白羽の矢が向けられたのでした。
4月の第2か第4木曜日に20分位 話して欲しいというので気楽な
気持ちで引き受けた。

どのように、話し始めたらよいか考えてみました。

  亘理伊達家と岩出山伊達家の領主は、弟と兄ですが、その辛苦の差は
北海道開拓を請願した時から始まっていました。

 1.亘理伊達家では、
  戊辰の役後、常盤新九郎は困窮する仙台藩伊達家の北海道開拓の先駆
  となる進言をし、参議広沢真臣に願意を述べ、弁官渡辺昇に内願書を提出
  しました。
   政府からの出頭を受けた伊達邦成公は、本藩にはばかることなく、明治2年
  8月23日 北海道開拓の御沙汰書と、8月25日 有珠郡支配の仰付書を
  太政官から受ける事ができたのです。(出抜かれた仙台本藩の重役は、
  常盤新九郎を呼出したのですが、慶邦公の取成しにより穏便に事を済ませる
  ことが出来たというのです。)

 2.一方、岩出山伊達家では、家老たちの推挙を受けた吾妻謙が、北海道
  開拓の願書を仙台本藩経由で、按察使に提出したのですが、按察使は東京
  弁官所へ請願するように添え書きしてくれたので上京すると東京の仙台藩邸
  に捕縛されてしまうのです。明治3年3月に帰る事が出来たが、それからも
  10日間仙台藩で監禁されてしまうのです。

  明治2年10月9日       伊達英橘
   石狩国札幌郡空知郡の内
    但し、地所の儀は、石狩府にて差図及ぶべき事
   右其方支配に仰せ付けられ候事
                    太政官

 この仰せ付け書を受け、11月に支配地受領の為、家臣を派遣するのですが、
 要領を得ないまま明治3年正月に帰国するのです。
 この報告を聞いた邦直公は、自ら支配地受領する事を決意、亘理伊達家の
 第1回開拓移住団の乗る長鯨丸に便乗し、3月29日北海道へ旅立つのですが
 この時に、吾妻謙は同行することが出来なかったのです。

  このように、岩出山伊達家の兄伊達邦直と亘理伊達家の弟伊達邦成の兄弟が、
 北海道開拓を目指すのですが、出だしからその困難さに差が出来てしまったの
 です。

  しかし、その後の記録を紐解くと、お互いが助け合って、開拓を成就したのです。


実際には、もっと詳しくお話をしたのですが、時間を考えると、このような事をお話し
する位で止めて置けば良かったではないかと反省しています。





 


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Posted by 邯鄲のゆめ at 10:29│Comments(0)北海道開拓
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